映画「ブラック ブック」のレビュー
1944年、ナチス占領下のオランダ。美しいユダヤ人歌手のラヘルは、南部へ逃亡する途中、ドイツ軍により家族を殺されてしまう。
レジスタンスに救われたラヘルは、エリスと名を変え、髪をブロンドに染めレジスタンス運動に参加する。
彼女はその美貌を武器にスパイとしてドイツ人将校ムンツェに近づいていくが、その優しさに触れ、次第にムンツェを愛するようになってしまう。
一方、レジスタンス内では裏切り者の存在が浮かび上がる。
「ブラック ブック」この映画は、言うならば新時代のナチス映画だと思います。
ナチスを扱う場合、その極悪非道を描き、その犠牲者や連合軍を「清く正しく」描くというのが常道でした。
最近ようやくそうした傾向に歯止めがかかり、ヒトラーをそれなりに人間的に描いたり、ヒロインがナチズムに共感を示したりという映画が登場してきました。
これもそうした傾向に棹さす一本でしょう。
レジスタンス神話は戦後長らく日本を呪縛していました。
これは特にフランスについて顕著で、日本人でも遠藤周作のように戦後すぐフランスに留学した人はそうした思いこみから免れていたわけですが、フランス本国でより日本の方がレジスタンス崇拝が強い傾向を、村松剛は1965年にすでに批判しています。
しかしサルトルなどの左翼系知識人の人気が高かった日本ではなかなか一般に流通しなかったのでしょう。
「ブラック ブック」はオランダについてレジスタンス神話をうち砕き、相対化を行っているところに斬新さがあります。
加えて連合軍とナチス将校との奇妙な癒着も描かれていて、戦後処理が一筋縄ではいかなかった複雑さを垣間見せてくれるのも貴重です。
いったん戦争が終わった後の「戦犯」に対する残酷な扱いも見もの。結局どっちもどっちなんですよね。
もっともこの映画「ブラック ブック」ではその描写は全体の一部に過ぎません。
レジスタンスの非人間的なすさまじさは、それだけで映画の主題になるものでしょう。
映画のスタイルとしてはきわめてオーソドックス。
それを良いとするか物足りないとするかは観客次第でしょうが、私としては裏切りにつぐ裏切りを描いている本作では、スタイルの普通さが必要だったのではないかと思います。
裏切りだけが人生さ、という身も蓋もない文句が浮かんでくる凄惨な映画である以上、それを救うのはスタイルのある種の古典性なのではないでしょうか。